愛敬といえば
愛敬といえば、すぐ思い浮かぶ言葉として「女は愛敬」という言葉を思い起こす人が多いと思います。
国語辞典で引くと
この言葉の意味を国語辞典で引くと、顔かたちがにこやかでかわいらしいことと載っています。(小学館国語大辞典より)
本来の意味は・・・
もともとは、愛(いつく)しみ、敬うという意味合いがあったようで仏教用言だといわれています。
「愛敬相」という言葉がありますが・・・
「愛敬相」という言葉がありますが、優しく、情け深い仏や菩薩の穏やかな相(小学館国語大辞典より)という意味だそうです。
愛敬は、「愛敬相」から来た言葉のようです。
お彼岸は、日本独自の仏教行事
お彼岸は、日本独自の仏教行事です。お彼岸の行事が行われはじめたのは、平安時代だといわれています。しかし、それは一部の人たちの間だけで行われていた行事で、広く民衆の間にまで広まったのは江戸時代になってからのことだと言われています。
お彼岸はいつからいつまで・・・・
秋のお彼岸は、中日をはさんで前後3日間です。秋の場合は、9月20日から9月26日までです。そして、真ん中に当たる9月23日を彼岸の中日(ちゅうにち)といい、お彼岸がはじまる9月20日を彼岸の入りといい、お彼岸が終わる9月26日を彼岸あけと言います。
お彼岸とは・・・・
お彼岸とは、至彼岸を意味し、彼岸に至ることを意味します。すなわち、彼岸は、彼(か)の岸、つまり極楽浄土のことを意味します。人々は、苦に満ちた現世から理想の世界である極楽浄土に渡ることを願い、当時の人々は六種類の実践業を行いました。それが六波羅蜜(ろくはらみつ)と言うものです。
七日間で六種類の修行・・・・
六種類の修行を一日に一種類の修行を行い、ちょうど真ん中に当たる日、つまり中日には六種類の修行をまとめて修行を行いました。だから、お彼岸は七日間あり、お彼岸に入る日を彼岸の入りと言い、お彼岸の終わりの日を彼岸が明けるといいます。
お彼岸と言えば「お墓参りの日」と思っている人が・・・
現代では、お彼岸と言えば「お墓参りの日」と思っている人がけっこう多いように思われます。しかし、お彼岸の由来を考えてみると、お彼岸とお墓参りは直接関係ないように思われます。しかし、お墓参りそのものは大切なことです。ご先祖がおられたからこそ今の自分があるのです。亡くなられた方への想いというものはたちがたく、忘れられないものです。
阿弥陀如来さまの功徳によって・・・・
浄土真宗では、亡くなられた方は阿弥陀如来さまの功徳によって極楽浄土に還(かえ)り、仏になっておられるというみ教えです。
お彼岸には、お墓参りも大切でしょうが、お寺さんに行って、お念仏を称え、仏法を聞き、故人を偲ぶことも大切ではないでしょうか。
お盆の時の供え物はどのようにすればいいですか。
毎年、この時期に檀家参り行くと、「お盆とき、仏壇のまつり方は、お供えは、どのようにすればいいのですか」と尋ねられることがあります。私の応えは決まって「いつもと同じでいいですよ」と応える。すると、尋ねられた方の多くは少し変な顔をされる。そして「本当にこれでいいのですか」と言われる。普段と変わらず、仏壇をお参りするとき、ローソクに火をつけ、線香をあげ、数珠を手にかけ手をあわせ「南無阿弥陀仏」と唱えるといいですよと応えます。
お酒などを供えたいのですが・・・
そう応えると、「仏壇には何も供えなくてもいいのですか」とおっしゃる方がおられます。すると私は「いつもと変わらないようにという事で、お盆だからと言って何も特別な供え物は必要ないという意味ですよ」と応えると、また変な顔をされることがある。それで仕方なく仏壇のまつり方、供え物について図にしてあるものとそこの家の仏壇を見せながら説明する。(作法のところに記載してある図)
中には「じいちゃんはお酒が好きだったのですが、おばぁちゃはお酒が嫌いだったのでが・・こんな時供え物はどうすればいいのですか」と尋ねられる人もおられます。こんな時の応えは決まってお酒は供えませんと応える。なぜなら、お釈迦さまが日常生活の中で守らなければならない決まりの中に「お酒は飲んではならない」という決まりあるからです。
供え物は誰に対してするのですか
供え物というのは、ご先祖に対して行うという気持ちが大切だと思いますが、ご先祖と言ってもどれくらいさかのぼるのかと言えば、なかなか決めるのは容易なことではありません。また、ご先祖によって食べ物の好物も変わってくるでしょう。
浄土真宗の教えは、供え物は守り本尊である阿弥陀如来さまに対して行うものです。ですから、供え物もある程度何を供えればいいのか決まってきます。
どんなものを供えればいいのですか
ちなみに供え物については、食べ物以外が優先されますが、それには次のようなものがあります。
お香(線香)、灯明(ローソク)、花
浄土真宗では、花についてはとげのあるものや毒花、悪臭を放つ花などは避けるようにしています。
また、食べ物の供え物については次のようなものを供えるようにしています。
仏飯(うっぱん)、水は(華瓶《けびょう》にいれて供える)、もち、菓子、果物などです。
また、生ものは供えないようにしています。
詳しくは、作法の中の仏壇のまつり方、供え物についてもご参照してください。
安心といえば・・・
「安心」といえば、何の不安も無く、心配が無く安らかな心の状態のときにこの言葉を用いられます。
仏教では・・・
仏教では、仏の教えによって心の安らぎをえて、こころが動揺しない境地に用いられます。
浄土真宗では・・・
禅宗では、修行によって得た安定して心のことといわれているそうですが、浄土真宗では、阿弥陀様の本当の願いを信じ、お念仏を唱えることによって、お浄土に往生できると信じてこの言葉を使われています。
アンジンと読みます
したがって浄土真宗では「安心」を「アンシン」とは読まず「アンジン」と読んでいます。
退屈という言葉の使われ方
暇をもてあそび、何もする事が無いときに「退屈」という言葉が使われます。
本来は仏教の修行のときに使われていた言葉だそうです
しかし、本来は仏教のことで修行を行っているとき、その苦しさや難しさから、仏道をする心が退き、努力することを忘れてしまっているときに使われていたそうです。
三つの退屈の意味があるそうです
仏教で言う退屈には「三退屈」と言って、三つの退屈があるそうです。
一つ目に、悟りを求めるにはあまりに難しすぎて起こす退屈。二つ目に、悟りを得たという事を証明することがあまりに難しいと聞いて起こす退屈。三つ目に布施の業はきわめて難しいと聞いて起こす退屈です。これらを退治することを三錬磨(さんれんま)といいます。
そこから気力がおとろえるとか、くたびれるなどの意味になり、そして、現実か使われているような意味になったようです。ですから「退屈」という言葉をもともと仏教でつかわれていた言葉と言えるでしょう。
接待と言えば・・・
接待と言えば、一般的に大切な人をもてなすと言う意味に使われていますが、この言葉も仏教に関する言葉です。
仏教では・・・
仏教では、「接待」とか「摂待」と書き、セッタイとかショウタイと読みます。
どのようなことからきたなのですか
本来は、日本各地を行脚する修行僧に門前でお茶などを出してもてなしした事から来た言葉だと言われています。
習慣が少し進み・・
このような習慣が少し進み、道のそばや、家の前に水やお茶を置いておき、そこを通る人や旅人に自由に飲んでもらうことを、摂待(せったい)などといわれるようになりました。
今でも、ふるまい酒という言葉もここから来たと言われています。
だから仏教に関する言葉です
従って、本来、接待とは飲み物など施してもてなすと言う意味になります。だから、このようなことから接待は布施を意味することになります。だから仏教に関する言葉だといえるでしょう。
国語辞典で調べてみると
日常の会話の中で、「世智辛い世の中」などと言われることがあります。この言葉を国語辞典で調 てみると、「こざかしい」「計算だかい」「抜け目がない」「世渡りがむずかしい」「暮らしにくい」(小学館国語大辞典)などと載ってあります。
私たちの智恵を意味するそうです
世智辛いの「世智」は仏教では、私たちの「智恵」のことを意味するそうです。そこから、世渡りを上手にいきていくような使われ方をされるようになり、現在のような使われ方になったそうです。
世間を上手に生きていくということは・・
世間を上手に生きていくという事は、計算高く生きていかなければ難しいものです。そのようなことから今のような使われ方になったと考えられます。
このように私たちが何気なく使っている言葉も仏教と関係ある言葉が結構あるものです。
仏教に関係ある言葉が意外と多い。
私たちが日常使う言葉の中に仏教と関係ある言葉があることに気づかないものです。例えば、「世間」という言葉がそうです。
いろんな使われ方をする
この言葉を使って、「世間が広いようで狭い」とか「世間体が悪い」と「世間様に申し訳がない」などいろんな使われ方がします。
しかし、「世間」という言葉が仏教用語であるという事を知っている人は意外と少ないようです。
仏教では・・・
仏教では、国土としての世間と、そこにいる命あるものの世間があります。さらに、これらを構成するものも世間と読んでいます。あわせて3つの世間があることから三種世間といいます。つまり、命あるものが互いにくらす境界を言った言葉なのです。
俗世間と出世間(しゅっせけん)
この境界とは、私たちが暮らす現実の世界を意味することから「俗世間」といいます。そして、仏様の境界のことを「出世間」というのです。
つまり、「出世」という言葉も出世間からきた言葉のようです。
春分の日、秋分の日をはさんで前後3日間です
お彼岸は年に二回、春と秋にあります。よく「お彼岸はいつからですか」と尋ねられることがありますが、お彼岸は、春分の日、秋分の日をはさんで前後3日間ですからちょうど7日間あります。
お彼岸はいつからいつまで
つまり、春のお彼岸は、春分の日が3月20日ですから、3月17日から3月24日になります。お彼岸の始まりの3月17日を「彼岸の入り」といい、彼岸の終わりの3月24日を「彼岸の明け」と言います。そして、ちょうど真ん中に当たる3月20日の「春分の日」が彼岸の中日になります。
お日さま、お天道さま
この日は、真東からのぼった太陽が真西に沈むことから、人々は西方の彼方にあるとされる極楽浄土を偲ぶようになったと言われています。このような考え方から人々は古来より「お日さま」とよんだり、「お天道さま」とよんだりしてきました。
阿弥陀如来さまの仏国土
西方浄土とは、西の彼方にある十万億の仏土を隔てたところに存在する、阿弥陀如来さまの仏国土のことを意味します。
彼岸とは・・・
仏国土は阿弥陀さまの浄土のことを意味します。彼岸とは「向こうの岸」という意味ですから、お浄土のことをさします。
西の彼方に沈む夕日をみて
阿弥陀如来さまは限りない「光の仏さま」と言われていますから、昔から人々はお彼岸の中日に西の彼方に沈む夕日をみて、その先に極楽浄土があると考えてきたものだと思われます。
還骨法要(かんこつほうよう)のあとに行うものと思っている人が・・・
最近、葬儀に行くと初七日も一緒にお願いしますと言われることが多い。どうも、初七日は葬儀の後の還骨法要(かんこつほうよう)のあとに行うものと思っている人がけっこう多いようです。
亡くなった日から数えて七日目
初七日は正式には初七日法要といい、浄土真宗では亡くなった日から数えて七日目に当たる日のことです。例えばある人が2月1日に亡くなったとします。すると2月1日から数えて7日目に当たる2月7日が初七日という事になります。
葬儀の後におこなう人が増えてきたが・・・
ところが、近年それぞれの方が忙しくて、初七日の日にゆっくり故人を偲べないということから葬儀の後、初七日法要をおこなう方が増えてきました。
形が変わっても・・・
しかし、形が変わったとしても、故人を偲び、お念仏のみ教えを心から聴聞することが大切ではないでしょうか。
新年、あけましておめでとうございます。
社会の暗いニュースが多い中で、皆様方一人ひとりが明るく元気な生活を送っていただければ幸いかと思います。
それには、どうしたらよいか、という事になるかと思います。浄土宗の宗祖法然上人は、「念仏のあるところに仏あり」と申されました。その教えを守り、広く、深く伝えられたのは、浄土真宗の宗祖親鸞聖人であります。
親鸞聖人はなぜそこまで念仏を唱えることで「お浄土」へ還り、仏になれると申されたかと言いますと、やはり親鸞聖人がそのことを何らかの形で経験されたと思われます。
親鸞聖人は9で僧侶になられ、29歳まで比叡山の堂僧として修行されたと言われています。その間約20年、大変長くそしてつらい修行であったと思われます。今、その修行の一端を紹介しますと、比叡山の僧侶の中には、1年、365日一日も欠かさず、毎朝5時に滝にうたれて修行をされる方がおられるそうです。そのような修行を親鸞聖聖人もされたという事が想像できます。
親鸞聖人は阿弥陀如来を唯一の救いの仏と確信されたのは、比叡山から毎晩1年間法然上人のもとを尋ねられ、勉学され修行をされた結果だと言われております。
比叡山には親鸞聖人のお姿を「阿弥陀様の化身」としてお祭りされております。
その親鸞聖人が苦労され、私たちを導いてくださる阿弥陀様の救いを一つの「かて」としてこの1年無事でよい歳でありますよう願いまして新年の挨拶にかえさせていただきます。
老朽化が進んだため
例年、年末になると除夜の鐘にまつわる情報が飛び交っています。正敬寺にも大きな梵鐘(ぼんしょう)が正門にあり、一昨年までは、深夜の12時前から檀家の方々が自由につきにこられますが、昨年より、お寺の老朽化が進み門を閉めることになり、残念ながら皆さんに除夜の鐘をついて頂くことができなくなりました。
浄土真宗の梵鐘の役割
浄土真宗では、除夜の鐘をつきません。梵鐘は「集会鐘(しゅうしょうえ)」ともいい、法要や儀式を行うとき、行事の開始に先立って合図として30分前または1時間前に撞(つ)くものとして使われています。
1年を振り返り、良い年をお迎えください
正敬寺では檀家の方々に昨年一年を振り返り、新しい年を迎えた喜びをあじわっていただく意味合いで梵鐘を自由についていただきことにしていましたが、昨年からそれも出来なくなりました。
しかし、梵鐘をならしてみたいと願う方が多くおられますので、1月1日の午前に限り鐘をついていただくことにしました。阿弥陀様に感謝の気持ちを込めて梵鐘をついていただければと思っております。そして、良い年を迎えていただければ幸いです。
今年も残すところあとわずか、お正月のことを考える時期になりました。以外としているようで知らないのがお正月の仏壇のまつり方やお供えについてなのです。
内掛けを敷いていない仏壇には・・・
内掛けを敷いていない仏壇には、内掛けを敷くように言います。そして、阿弥陀様の前に仏飯を備え、お餅や干し柿を供え、お餅の上に葉月みかんを置いて供えることが昔からの習慣です。そのほかに、菓子(できれば穀類でできたもの)、季節の果物など少しずつ供えてくださいと言います。
お供え物の量を考えて
ただし、仏壇に供える量についても必ず注意してほしいという事も付け加えます。そうでないと、供える量が多くて仏壇の中が食べ物であふれている場合がたまにあるからです。お供え物をする場合、それぞれ一つか二つずつにして供えるように心得るようにしないと仏壇がお菓子箱のようになってしまうことがあります。
水は華瓶(けびょう)に入れて
水は華瓶(けびょう)入れ、しきびの葉を一枚入れるようにします。これは、しきびの葉をいれるのには二つの理由があります。一つは、華瓶に入れた水にふたをするという事、もう一つは、しきびの葉は香りが強いため、仏壇に供える香りのする水を供えるという意味合いがあります。
これは、線香をたくのと同じような意味があります。阿弥陀経(あみだきょう)という経には、お浄土はなんとも言いがたい芳(こうば)しい香りが漂っていると説かれてあるからです。
花やローソクの置く位置が決まっています
花は赤・白・黄・紫などの色花、仏壇に向かって左側に置き、ローソクは仏壇に向かって右側、そして、真ん中に土香炉(どごうろ・・・ここで線香をたく)を置きます。
以上のようなことを踏まえ、仏壇に供え物をし、新しい歳を迎えてみればいいのではないでしょうか。
詳しくは。作法の中の仏壇のまつりかたをご参照してください。
人はよくこんな事を言います。
人はよくこんな事を言います。「誰でも生まれてきた以上死んでゆく」だから自分の人生を大切にしなければならない。
「生老病死」とは・・・
一般的に、人と言うのは生まれて、年をとって、病気になり死んでいく。この事を仏教では「生老病死」と言っています。
この世に生まれてきた以上・・・
どんな人でもこの世に生まれてきた以上、死んでゆくのです。しかも、生きているあいだにしだいに年をとり、病気になり、やがて亡くなるのが一般的な人生でしょう。
何らかの原因で・・・
むろん、人によっては何らかの原因で若くしてこの世を去る方もおられるでしょう。また一度も病気をしないで亡くなる方もおられるでしょう。
人生は片道切符
この世に生まれてきた以上、死ななければならない。すなわち、人生は片道切符なのです。この事は誰もが知っていることなのだが、その事を自覚している人が意外と少ないように思えるのです。
今の自分を大切に
今生きている自分が自分の人生の中で一番若いという事なのです。一時間でも時間が過ぎれば、一時間年をとるという事なのです。その事を思えば、今の自分を大切にして有意義な人生を送ることの大切さを感じれるのではないでしょうか。
かねをたたいてから仏壇を参るのですが・・・
仏壇を参る時、「カネをチンチンとたたいてから参るものですと教えられたのですが・・・実際のところ何回つけばいいのですか」と尋ねられました。
鏧をたたくのは意味があるがあります
「別に鏧をたたかないで手を合わすだけでもいいですよ」と答えました。「本当にそれでいいのですか」と尋ねられたので、鏧をたたくのには二つの意味があるという事を説明しました。
音あわせのために
一つは、経を唱えるときの音あわせです。経を唱え始めるときの音がハ長調のレの音であるとかミの音で始まる場合とか経によって違うのですが、鏧の音を聞いて音をとって経を唱え始めるのです。経によっては鏧をたたかないで唱えるものもあります。
合図の意味が・・・
もう一つは、経を唱えることを知らせる合図、経が変わるとき、そして経を唱え終わる時にたたきます。すなわち、経を唱える時に、最初に二声(・・2回打つこと)、経が変わる時に一声(・・1回打つ)、終わる時に三声(・・3回打つ・・・この場合、強く・弱く・強く打つ)打ちます。従って、鏧を打つ意味は、経を読むという合図の意味合い(最初の二声)、次に経が変わりますよという合図の意味合い(中間に一声)、これで終わりですよという合図の意味合い(最後に三声)があります。
鏧の種類は・・・
家庭にある仏壇の鏧(きん)は、小鏧(しょうきん)と呼ばれているもので一般的には仏壇のカネと呼ばれています。鏧には、お寺の本堂などにある大鏧(だいきん)・各家庭の仏壇などにおいてある小鏧(しょうきん)・外で使う(火葬場や墓などで使う)引鏧(いんきん)の3種類があります。これらはすべて桴(ばち <打棒 うちぼう>)で外側を打ちます。但し、小鏧は内側を打ってもよい事になっています。
仏壇の前に座って、手を合わせる場合、鏧を打たなければならないということはありません。大切なのは、心を込めて手をあわす事ではないでしょうか。
お盆のお供えは・・・
お盆が近づくと「お仏壇のお供え物はどのようにすればいいのでしょうか」とよく尋ねられます。浄土真宗ではお盆だからと言って、精霊棚や盆棚などは必要ありませんと答えます。
お供え物の基本
そのような事を尋ねられた時はお供え物の基本的なことを説明します。お供え物といても食べ物とそうでないものに分けてお供えするようにしてくださいと切り出す場合が殆どです。
食べ物以外のお供え物とは
お供え物で最優先されるものは、お香(一般的には線香)です。次に灯明(通常はローソク)、そして花です。花は、トゲのあるもの、ツルの長いもの、悪臭のするものは避けてくださいと言います。
食べ物のお供え物は
次に食べ物は、里のもの、山のもの、海のものと季節に合わせて供えてくださいといいます。里のものではまず、仏飯(お米)、モチ、菓子類(穀物を材料にしているせんべいなどがいいでしょう)、山のものでは、季節の果物がいいでしょう。海のものでは昆布や焼き海苔などです。ただし、生ものや、お酒、タバコなどは供えませんと答えます。
仏壇の中に
これらのものを仏壇の中に少しずつ供えるようにします。そして、前卓に打敷(うちしき)をかけます。過去帳(浄土真宗では位牌は使わず、過去帳を使います)にはご先祖の法名(浄土真宗では戒名と言わず、法名(ほうみょう)と言います)や命日、俗名を記入し前卓の手前などに置くようにします。
(詳しくは作法・・・仏壇のまつり方を参照してください)
還骨(かんこつ)勤行とは・・・
葬儀が終わって、遺骨が家に還ってくるとお仏壇を荘厳(しょうごん)し、中陰壇(ちゅういんだん)を舗設し、仏壇の前で経を唱えるのが還骨勤行です。
色花はダメですか
還骨が終わり、法話をした後でよく「満中陰がすむまで色花はダメですか」とよく聞かれます。そこで、私はいつも「白色の花も色花ですので・・・」と微笑みながら応えるようにしています。
そして、「できるだけ赤い花は避けるようにしてください」と付け加えるようにしています。
白色の花と黄色の花などの色花を・・・
供える花は、白色の花と黄色の花などの色花を主に供えてください。そして、故人が好きだった花があれば故人を偲ぶ意味でもその花を供えることもいいでしょう。
心を込めて
花屋さんに売っている花に限らず、庭先に咲いている花でも四季おりおりの花を心を込めてお供えするのもいいでしょう。
ただし、浄土真宗では、通常、毒気のある花やトゲのある花、悪臭を放つ花などは避けます。
ローソクと言えば白色と言うのは一般的ですが・・・・
ローソクと言えば白色と言うのは一般的ですが、使い方によってローソクの色が変わってくることを意外と知らない人が多いようです。
50回忌の法要の時などは赤色のローソクを用います
白色のローソクは平常時や一般の法要に用いますが、入佛式や50回忌法要の時などは赤色のローソクを用いるのが通例になっています。また、地域によっては7回忌以降の法事でも赤色のローソクを使用するところもあります。
仏前結婚式では・・・・
仏前結婚式の場合などは、金色のローソクを用います。金色のローソクがないときには、白色のローソクの上から金箔(きんぱく)を塗ったもので代用する事もあります。
葬儀や追悼法要では・・・・
また、葬儀や追悼法要の時などは銀色のローソクを用いるようになっています。これも、ない場合は白色のローソクの上から銀箔(ぎんぱく)を塗ったもので代用する事もあります。
買い求めることが難しいのが現状です
いずれにしても、金色のローソクや銀色のローソクを買い求めることが難しいのが現状です。従って、現実的には金色のローソクや銀色のローソクの変わりに白色のローソクを使うことが一般的になっています。
かたちにとらわれることなく心から手を合わす心が大切では
ローソクの色などのかたちにとらわれることなく、心から手を合わす心が大切ではないでしょうか。
仏壇のおまつりの仕方の基本
浄土真宗では、仏壇のおまつりの仕方の基本は、お香(通常は線香)をくべ、ローソクに火をつけ、お花を立てることです。(作法・・仏壇のまつり方を参照してください)
実際に聞いたことがあるのですか
こういう話を檀家の人にすると、ローソクの火をつけるのはご先祖が暗いと困られるからとか、道に迷われるからなどいわれる方があります。
こういう話をされると私は、「実際に聞いたことがあるのですか」と冗談を言うように話します。
すると、たいていそこで笑いが起こります。実際そんな話、誰も聞いた事がないはずですが・・・・
ローソクをともす意味は・・・
そこで、ローソクをつける意味について話すようにしています。ローソクの光は概ね二つの意味があると言われています。
一つは、私たちの心の中まで照らしてくださる光、すなわち智慧の光なのです。
もう一つは、私たちの心を解きほぐすかのような温もりの光、すなわち、如来様のお慈悲の心をあらわす光なのです。
このような意味合いを理解して、仏壇のローソクに明かりをともすと今まで以上に輝いて見えるかもしれません。
浄土真宗では聞法(もんぽう)を大切にしている
浄土真宗では、聞法を大切にすると言われますが、本堂をみるとそのことがわかります。
内陣(ないじん)と外陣(げじん)
お寺の本堂は、内陣と外陣にあります。内陣は、仏さまを安置するところで、外陣は、お参りする人が座るところです。
内陣に比べ外陣は・・・
浄土真宗のお寺の場合、内陣に比べ比較的外陣が広くなっています。
一人でも多くの方がお参りしていただけるように
これは、一人でも多くの方がお参りしていただけるようにという思いからです。
宗祖、親鸞聖人が明らかにされた念仏の教えを聞く
それは、宗祖、親鸞聖人が明らかにされた念仏の教えを聞く、これを聞法と言いますが、その聞法を聞く場所が時代の移り変わりともにお寺になっていったのです。
だから、浄土真宗のお寺の本堂は、できるだけ多くの方がお参りいただき、聞法を聞いていただけるようにという思いから外陣を広くしてあるのです。
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