今まさに末法の時代だろうか

悲惨な事件が多すぎること

 ここ数年私たちの常識では考えられないような悲惨で残酷な事件が多すぎるように思う。例えば、秋田児童殺人事件、大学生による生き埋め殺人事件、奈良家族3人放火殺人事件など、ここ最近でも数え上げていけば多くあることに改めて驚かされ、無法の時代にでもなったかのように錯覚してしまうことさえあるのです。今から2500年前にお釈迦様によって説かれたすばらしい「教えの光」がしだいにかすんでいくように思えるときさえあるのです。

今、まさに「末法の時代」

 このような事件が起こるとよく「世も末」だとよく言われます。このような言葉を聞きと、私は「末法思想」を連想します。末法思想とは、中国から伝えられた考え方で、釈迦の入滅後(死後)の仏教の世界のあり方を説いたものです。まず、「正法の時代」から「像法の時代」そして、「末法の時代」へとうつっていくというのです。「正法の時代」は釈迦入滅後千年(五百年と言う説もある)、「像法の時代」はそれからまた千年、そしてそれから一万年は「末法の時代」だと言うのである。その考え方をあてはめてみると今、まさに「末法の時代」だと言えるだろう。いままでなかったような悲惨で惨忍な事件が頻繁に起こると、このような事件にはやく終止符をうってほしいと願い、同時に不安にかられた心の中を照らす灯火を求める人も少なくないでしょう。

いまの時代こそ南無阿弥陀仏

 「歎異抄」の中に、「仏かねてしろしめして」とあるように、私たちが願いをかけるよりも先に、仏さまの方から悩み苦しむこの煩悩の身を心配し、間違いなく救うという願いが今ここに成就し届けられているのです。私たちから仏さまにお救いをお願いするのではなかったのです。

 蓮如上人(れんにょしょうにん)は、「南無阿弥陀仏」は「往生のさだまりたる証拠なり」とお示しくださいました。

 すでに私たちの救いが完成されており、それが今、「南無阿弥陀仏」の念仏となって私たちに届けられています。この念仏と共に生きていくことが大切ではないでしょうか。

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