わかれ
今まで何人の方をおくったのだろうか。
今まで何人の方をおくったのだろうか。正敬寺に関わりが深かった方の葬儀のたびにそう思うようになってきた。そして、人は「寿命」には逆らえないと思うようになってきた。ここで言う「寿命」とは天から与えられた命、すなわち天寿の事である。昔から正敬寺の地域では、「寿命」という表現を使っているのであえてそう表現する事にする。
現代的な発想をすれば、親から受け継いだ遺伝子によるのもだというのだろうが。・・・私に寿命があるように思えて仕方がない。
今日という日を大切に・・・
近年、2日〜3日前に世間話をしていた人が急に亡くなられた方や医者から「長くはないですよ」と言われた方でも10年ほど頑張って生きられた方など、僧侶の私が驚かされる事例が多くある。だからと言って、「寿命」には逆らえないと決め付ける気持ちはないが・・・・・・・。人は必ず死ぬ。だから限られた命を精一杯生きたい。私はそう思う。「寿命」を知ることは誰にも出来ない。だから二度とこない今日という日を大事に生きることが大切だと思う。
わかれ
正敬寺には、女性の方が作った会が古くからある。その会の会員の方が亡くなられ、満中陰(まんちゅういん)が終わり初めての例会の時「わかれ」といって親族の方を招き、故人を偲びながら、住職の私を中心に会員の方々と一緒に経を称える。その後、住職の法話を行い終わるのだが、どうしても元気な時の姿が眼に浮かぶ。それが、急に亡くなられた方であればなおさらである。
人の死を無駄にしてはいけない
私は、老僧から「亡くなられた方の死を無駄にしてはいけない」と教えられた。身近な方が亡くなられたからこそ「手を合わせ」、故人を偲ぶ。そして、故人を偲ぶ中でいろいろと学ぶことがあるだろう。その学んだことをこれからの人生の中で吸収しようとする事柄、気をつけなければならない事柄などいろいろあるだろう。そういう事を大事にしてこれからのいき方の「みちしるべ」の一つにして生きていくことも大切ではないかと思う。
