お父さんと一緒
お父さんおはよう
「お父さんおはよう」、朝起きて仏壇の横においてある写真にそう言って、仏壇に手を合わせて「南無阿弥陀仏」と称える。こんな生活がもう5年も続いていると言う。
Aさんが今から60年前に結婚されたが、子どもに恵まれず夫婦二人の暮らしが55年続いたが、5年前ご主人をなくされて一人暮らしを余儀なくされています。
話し相手がいないのがさびしい
Aさんの場合、一人暮らしでつまらないと感じる時は話し相手がいないことらしい。55年の結婚生活ではよく夫婦喧嘩したが、夫婦でいろんな話しをしたと言う。今の楽しみは、私が月に1回のAさんのお宅に伺う月忌参りに伺うことらしい。月忌参り行き、経を称え終わるとすぐお茶を出してくださる。そこでいろいろな話をされる。
返事が返ってこない
ある時、Aさんが毎朝起きるとご主人の写真に向かって「お父さんおはようと声をかけられるけど、返事が返ってきたことがない」言われたことがあります。そこで私が「写真が返事すれば怖いんじゃないの」と言うと「そりゃそうだけど・・・やっぱりさびしいよ」とぽつりと言われたことがありました。
お父さんのおかげ
「お父さんが生きているときはよく喧嘩したよ。でもね、今、こうして生活できるのは、お父さんが頑張って仕事をしてくれたおかげだと感謝している。だからこうしてお父さんが亡くなっても年金がもらえてそれで何とか生活が出来る。やっぱりお父さんのおかげだと思っています」と言う。
お父さん行ってくるよ
Aさんは、出かける時も写真に向かって「お父さん言ってくるよ」といい、仏壇に向かって「おねがいしますよ」と言って手を合わせから出かけるらしい。
倶会一処(くえいっしょ)
「どうしてですか」と私が訪ねると、「私がこうして元気で何とか生きていけるのは阿弥陀さまのおかげだと思っています。それに、こうして手を合わせているといつも阿弥陀さんが側にいてくださるように思うのです・・・そして、私もいずれお向かいが来る。そう思うとお坊さんが以前言っていた『倶会一処(くえいっしょ)』という言葉を思い出す」と言われました。
その言葉をよく覚えてくださっている。Aさんは、自分もいずれはお迎えが来る。そうすれば、その倶会一処の言葉が示すとおり、阿弥陀様のお浄土に往生されていただき素晴らしい善き人々とともに一処(ひとところ)に会うことができる。そこでまたお父さんと会えると考えておられるようです。
墓碑の題字として用いる場合がある
浄土真宗では、この言葉が「尊敬する人や親しい人、そして愛しい(いとしい)人々と出会い、再び和歌得ることのない世界」と示すことから、仏縁を深めるため墓碑の題字として用いる場合があります。
